こんにちは!まるよ食堂 8代目の鈴木凱弥です。記事を見ていただきありがとうございます!これからお店のこと、食材のこと、栗原市のこと などなどを書いていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
2021年1月、アルバイト時代も含めると約10年間お世話になった職場を退職しました。そして2月から実家である、まるよ食堂で働くことになりました。
今回は初回の記事なので、どうして実家を継ごうと思ったのか、そして仙台でいったい何をやってきたのか、といった内容を中心に自己紹介をしたいと思います。
目次
プロフィール
まずは僕の基本情報から。
年齢 29歳
家族 妻、子ども2人
趣味 釣り、スキー、包丁研ぎ
資格 日本料理 専門調理師(国家資格)
生まれも育ちも栗原市築館です。趣味のスキーは小学生のときに築館スキー協会で教えてもらったのがきっかけ。ゆくゆくは僕もスキー協会で活動したいなと思っています!
包丁研ぎは仕事に関わらず大好きなので、もし自宅に切れ味が悪くなった包丁があったらお気軽にまるよ食堂へお持ちください^^
まるよ食堂を継いだワケ
幼い頃から両親、祖父母はお店をしていたので、僕と弟は築館の商店街で近所の人たちに見守られて遊んでいました。たくさんの人に声をかけてもらって、ときにはお菓子をもらって・・・そんな温かく成長を見守ってくれた築館の人たちにおいしい料理で恩返しをしたい。その想いがUターンを決意した一番の理由です。
そしてもうひとつの理由は、まるよ食堂を長年支えてきた祖母が体調を崩してしまったこと。
そもそも僕が料理をはじめるきっかけは、祖母が料理をさせてくれて、そしてほめてくれていたから。どんなに下手でも「教える」のではなく、静かに「見守り」、完成した料理を「おいしい」と言って食べてくれました。その時、誰かに料理を食べてもらうことの楽しさに出会ったと思います。
その祖母が80歳を超え、ついに引退することになりました。長年祖母が守ってきた食堂を僕が最後に引き継ぎたいと常に思ってきたので、コロナウィルスの影響がある中でしたが、戻る決断をしました。
※現在祖母は回復し、デイサービスに通ったり、ひ孫と遊んでいます。
修行時代のこと
仙台で過ごした約10年のことを少しだけ。
築館高校を卒業して、宮城調理製菓専門学校へ入学しました。在学中、仙台勝山館 日本料理醇泉(じゅんせん)にアルバイトとして入社。日本料理の世界は、上下関係が厳しく、覚えることもたくさん。毎日怒られながら必死で日付が変わるまで働いていました。学生生活では、調理師学校の全国大会に出場してきました。(全国大会ではけちょんけちょん。もっと精進しなければと襟を正しました。)
専門学校卒業後はそのまま正社員として日本料理醇泉へ。約10年間、魚の下処理から揚げ物、焼き物などなど日本料理の技法を磨いてきました。現在のまるよ食堂は、麺料理が主ですが、これまでの経験を活かして、魚料理、炭火焼きなどもやっていきたいと思っています!
築館でやってみたいこと
やってみたいことはたくさんあります。僕は築館が大好きなので、自分のお店はもちろんのこと、築館のためにも働くことができたらと思っています。
まず、お店はこれまでの「食堂」という形態をベースに、「食堂だけどお酒が飲める」とか「食堂だけど珍しい料理が食べられる」など、ちょっとおもしろさをプラスしていきたいなと思っています。日本料理専門調理師という資格も取得したので、料理教室もやってみたいなという希望もあったり・・・(オファー受付けます!)
ほかには、栗駒地区の六日町のような「夜市」もやってみたいな、という野望もあります!六日町がとっても盛り上がっていて、楽しそうで、負けていられないなという気持ちが強いです。六日町に勉強させていただきながら、僕も頑張ります!
さいごに
生まれ育った築館で、お店ができることを本当に嬉しく思っています。たくさんの人においしい笑顔を届けるため、日々頑張ってまいります。こんな感じの僕ですが、どうぞ応援よろしくおねがいします。